道迷いの繰り言 その続き

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  猫

どこかの作家さんが産まれ立ての子猫を殺しているそうで。
新聞で語ったせいで批判罵詈雑言の雨霰になっているそうで。
該当記事

作家さんの話す内容には、違和感を覚える。
そんなわざわざ、自分も親猫も子猫も苦しむような選択をしなくてもいいのでは・・というか殺すなら崖からポイ捨てじゃなくて、薬なり頚動脈切断なり、もう少し楽(と思われる)やり方をしようよ・・とは思う。

んで、ネット世間での反応・・。いやぁ、心優しき人の多いことで。優しさのあまり、作家さんの人格まで否定なさるとは。私にはとてもそこまでできない。


世間様には色々な人がいる。価値観がある。


犬ぞりを使うイヌイットは犬を大事にするが、旅の途中で使えなくなった犬は容赦なく処分するし、非常時には食料にもするという。
水族館の職員の中には飼うと決めた魚は食べれないが、同種の魚でも食べると決めたら美味しく頂ける、という人もいる(と聞いた)。
犬を愛玩動物としてのみ扱う人もいれば、愛玩用と同時に食用にもする人もいる。というか、犬鍋は私も食べてみたい。
古代エジプト軍は猫を殺せなくて戦に敗れた。高校で師事した生物の先生はかつて、犬猫はおろかオオサンショウウオまで食べた。山椒魚は牛肉のようで美味しく、猫は不味かったそうだ。
何者かを愛しているからといって、その者を傷つけない、殺さないとは限らない。ほら、よく言うでしょう、「食べちゃいたい位に可愛い」って(それは何か違う)。


そして自分の価値観と他人の価値観とは必ず衝突する。だから人は他人を批判する。批判したいがために考察し、自身を鑑みる。時にはその人の存在それ自体を否定するかもしれない。まあ、仕方の無い話。人は互いを批判し、考察し、否定しあう中で自身を形成していく。


だがこのネット世間に考察は存在するのか。自身を鑑みない批判に価値があるのか。


あえて悪意をこめて言う。
本当は猫なんてどうでもいいんだろう、そんなに他人を叩いて自身を高みに置きたいか。


・・・・・誰に向かって言っているのやら。どうやら、私も世間を叩いて自身を高みに置きたいらしい。軽蔑に値する。


参考
作家の坂東眞砂子が18日の日経新聞で日常的に子猫を殺していると語る :Something Orange

この考察が読めただけでも今回の件には価値がある。