道迷いの繰り言 その続き

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 「萌え」,あるいは善意の中に在る何がしかについて

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日本でのアルビノをめぐる様相が独自の展開をしていくのは近代以降のことだ。まず一点目は、戦後のサブカルチャーシーン、とりわけ近年のオタク文化圏における「アルビノ萌え」なる現象である。病者・障害者を見世物にすることはもちろん、話題にのせることすらはばかられる「道徳的な」社会において、病気・障害であるはずのアルビノが、キャラクターとして大量に生産・消費され、場合によっては性的欲望の対象となっているのである。アルビノのキャラクターに萌える人々は、アルビノについて、当事者について理解した「フリ」をして「政治的な正しさ」を確保する。さらに、2次元と3次元の連続性をなくすことで、3次元世界の当事者を不可視化する。こうした2次元のキャラクターに萌えるための巧妙なロジックを用いることで、彼/彼女らは倫理的葛藤を回避しているのだ。


・・中略・・


同じ身体、同じ「私」でありながら、それがあからさまに否定的なスティグマとして働くこともあれば、賞賛され羨望のまなざしを向けられることもある。さらには、隠してるつもりがなくても見る側の誤解によってパスすることすら可能となる。こうした状況は、アルビノ当事者に独自なアイデンティティ管理を促していると思われるが、はたして、どうなのか……。


障害学研究会関西部会第26回研究会より矢吹康夫氏からのメッセージ文


アルビノ萌えは差別につながるか。(Sometihng Orange)を受けて.


id:kaienさん同様,自分も「アルビノ萌え」なる概念には違和感を覚える.まあ,世の中は広いので該当する人間は多分どこかに居る事は居るだろうが,少なくとも「メイド萌え」や「女子高生萌え」程の勢力は無いであろう.それゆえ,「アルビノに「萌える」ことで当事者について理解した「フリ」をして「政治的な正しさ」を確保する」という論理展開には,どこかずれている印象を受ける.


しかし,この「アルビノ萌え」を「メガネ」「オデコ」「巨乳(あるいは貧乳)」「皮膚,髪の色」「身長の高低,体重の大小」「頭の良し悪し(ドジだったり知的だったり)」「身体的,精神的な障害」などの身体的特徴や,制服や思想信条に基づく着衣(ムスリムの女性のスカーフなど)などに対する「萌え」あるいは「好み」と言い換えたらどうだろう.


乱暴に言ってしまえば「〜〜萌え」とは「君の〜〜な部分が好き」という一種の好意である.そのような好意を向けられた,あるいはそう感じた相手が自分の「〜〜」について好意を共有できるのなら問題は無かろう.だが相手が自分の「〜〜」について劣等感を持っていたり,そもそも「無視して欲しい」「ことさらに意識しないで欲しい」と思っていたらどうなるか.しかもそれが自分の意思では変更が困難な事象だとしたら.


そこで会員の多くに共通する問題としてまず出てくるのが、常に浴びせられる視 線とそれに伴う偏見に満ちた言動、その一方で「顔のことぐらいでクヨクヨするな」「もっと大変な思いをしている人がたくさんいるんだから」といった"励まし"や"意見 "を押し付けられることだ。アザやケロイドのある顔を「気持ち悪い」と感じる"本音"と、「人間は顔じゃない、大切なのは中身だよ」という"建前"のはざまで、ユニーク フェイスの人たちは翻弄される。「ふつう」の顔の人たちの本音に傷ついたところへ、建前のアドバイスや励ましを受けるといったふうに。


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ユニークフェイス」の発起人のひとりである石井政之さん(36歳)はこう話す。「"アザなんてたいしたことないよ"という言葉が本心からの励ましだったとしても、当事者にとってはまったく参考にならないんです。じゃあ、自分の顔に大きなアザが あったらどう思いますか? 当然、悩むでしょう」


視線という暴力〜ユニークフェイス〜「ふつうでない」顔で生きるということ :ふらっと〜人権情報ネットワーク


これは顔にアザや疾患の跡を持ち,それで悩んでいる人達の話であり,このような人の前で不用意に(あくまで不用意.自分には,その特徴を好んだりその好みを相手に伝える事自体が悪とは思えない)「その顔に萌える」とは誰も言わないだろう.が,これが見目麗しいアルビノの人だったり,保護欲を掻き立てられる幼い外見の人だったらどうか.無邪気に世間に発露される「萌え」が彼もしくは彼女らの「そこに触れないで欲しい」という想いを踏みにじっていないと,私たちオタクは断言できるのか.


余計な一言を加えるならば,地獄への道は善意で敷き詰められているのだ.


・・・・id:kaienさんの考察に屋上屋を(しかもボロボロのやつを)架してしまっているのは承知だが,どうもブックマーク等での反応が気になったので.