道迷いの繰り言 その続き

旧 道迷いの繰り言 移行作業のみ実施

 どうしようもなし


自分を不幸だと規定している人はよくいる.その理由は様々で,客観的に見て頷けるものもあれば頷けない物もある.よく言われる事だが,極楽浄土の中にあって誰よりも苦しんでる人もいれば,地獄のど真ん中で幸せを謳歌する人もいる.ぶっちゃけた話,しばらく前まで「生まれてきて悪かったな」と叫んでいた自分もその一人だったのであろう.


さて,そんな不幸な人が無言で前に立っていたとして,特に不幸でも無い人にできることは少ない.鬱陶しいから失せろ,と切り捨てる事ができる人は少ないし,彼もしくは彼女を不幸から引きずり出せる人はさらに少数だろう.よほどナイーブな人間でも無い限り,半端な励ましや同情は逆効果だと分かっているだろうから下手に会話も出来ない.結局,多くは黙って立ち去り,少数のお節介焼きが,腹を据えて世話を焼くかせめて黙って話を聞くことになるだろう.


ただ,不幸な人が不幸から抜け出したいと思えたら,状況は極々僅かだろうが良くなるかもしれない.不幸で無い人との会話の糸口もできるし,ささやかな励ましにも意味が見つかるかもしれない.たとえその主張が荒唐無稽であったとしても,「俺にも幸福がほしい」というのであれば答えを探す事は出来る.誰にだって幸福を求める権利があるのだから.不幸で無い立場の人間がこれを言うのは傲慢以外の何物でもないが,現実問題として不幸からの脱出の意志が無い人を,そこから引きずり出せる人間はまずいない.


だが,「俺が不幸なのだから,幸せな人間は黙っていろ」と言われてしまったら,もうどうしようもない.そんなこと,出来るわけが無い.幸福を幸福であると語れない事はすでに不幸だ.まあ,わざわざ不幸な人間の目前で幸福を語る人がこう言われるのは仕方が無い・・・とも思うし,彼の不幸の一因が言われた人間にあるのであれば問題解決の切っ掛けにすることも出来るであろう.だが,ここの所のネット界隈で語られるこのような言説はそんなものには到底思えない.それじゃあ,もうほんとうにどうしようもない.完全に無視するか,場合によっては自らの幸福を守るために争うしかない.


・・・何がしか結語に説得めいたことを書こうとしたのだが,胡散臭いセミナー屋の宣伝文句にしかなりそうもないのでやめる.